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重厚な純文学と、ユーモア作品が同居 [ニュース]

知的ユーモアあふれる「どくとるマンボウ航海記」などで知られる作家、北杜夫さんが24日死去した。近代短歌を代表する歌人を父に持ち、躁(そう)鬱(うつ)病にも悩まされた。それでも鬱期には重厚な純文学、躁期には「どくとるマンボウ」シリーズを初めとする肩肘張らないユーモア作品を…と、自在に書き分け、既存の文学の枠を超えて愛された。

 北さんが躁鬱病を発症したのは、作家としての地位を確立した後、40歳のときだ。鬱状態のときは、夕方まで寝て夕食になると起きる冬眠のような生活。一転、躁のときは「映画を作るから」とむちゃな株取引に手を出したり、「日本から独立する」と「マンボウ・マブゼ共和国」の設立を宣言してみたり…。妻はあちこち走り回され、家庭は修羅場の連続に。笑いと愛に満ちたエッセー「マンボウ遺言状」「マンボウ恐妻記」などで、そんな自分を劇画化し抱腹絶倒の読み物に仕立て上げる明るさと才気を持ち合わせていた。「あまり躁や鬱が知られていない時期に、自分の病気を作品で紹介した。これは結構世の中への貢献だったと思う」と、おどけたことも。

 純文学作品でも高い評価を得た。出世作「どくとるマンボウ航海記」を刊行した昭和35年には「夜と霧の隅で」で芥川賞を受賞。 長篇「楡(にれ)家(け)の人びと」は、三島由紀夫に「日本で初めての市民小説」と高く評価され、多くの読者を獲得した。

 アララギ派の歌人で精神科医という偉大な父、斎藤茂吉を持ったことが重圧になったと明かしたこともある。東北大医学部在学中に、独作家、トーマス・マンの「ブッデンブローク家の人びと」などの影響を受け、小説を書き始めるが、北さんを文学に向かわせたのも、「赤(しゃっ)光(こう)」など父、茂吉の歌集に強く触発されたからだ。平成5年、医局時代の体験をまとめたエッセーに触れ、「父に強制されていやいやながら医学の道に進んだのですが、精神科を選んだのは自らの意志によるものでした。それは精神医学が人間の心を探るという点において文学と通じるものがあると考えたからです」と話している。父親への複雑な思いは、茂吉の人生を描いた4部作の評伝で、平成10年に大佛次郎賞を受賞するという形で結実した。

 著作は約130冊。鬱屈を抱えながらもエッセー、小説を問わず、作品の根底には人間へのやさしいまなざしがあった。「人間という生物は、好奇心が強く奇妙な、なかなか面白いものとも思っている」。変わらぬユーモア精神を物語る言葉といえる。



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